メルヘン、童話、民話、伝説、神話、寓話、お伽話
メルヘン、童話、民話、伝説、神話、寓話、お伽話 | [ ラグタイム ] |
パイ生地は勿論自分で作れるが相当の手間暇掛かるので、
購入することの方がむしろ多い。
先日も『不二家のホームパイ』を買ってきたが、
パッケージの袋に『HOME PIE STORY』と題する
『ホームパイ物語』が書かれてあるのが一際目立った。
最近もダーリンとの会話中に出てきた『ロバの耳』が気になり、
それに纏わる話を探してみたところ
『王様の耳はロバの耳』という童話があることを知りました。
イソップ物語からアンデルセンまで、ギリシャ神話からグリム童話まで、
日本昔話からミヒャエル・エンデまで、夢物語は数え出すときりがないが、
人間の心を形成する過程において
これらはものすごく大切な要素になっていると思う。
今現在でも私は多くの大人たちの心の問題を透視していますが、
人の持ちうる心の病やコンプレックスは大概幼少時に発生しています。
両親にあまり可愛がってもらえなかったとか、
兄弟間で極端な差別を受けたとか、親が離婚したとか、
虐待やいじめに遭ったとか、まぁ、理由や原因は様々ですが、
政治的弾圧や社会におけるストレス、戦争の傷跡や競争社会での疲れ、
追い詰められた傷ついた心は閉ざされてしまうばかりで
夢を見る純粋な幼心さえ忘れがちなのです。
夢とは果たして何であろうか????
真っ白いキャンパスに憧れの光景を描いていくこと、
この上なく幸せな楽しく愉快な生活を想像すること、
永遠に回り続けるメリーゴーランドのように穢れを知らない時空に生きること。
人を愛する権利が誰にでもあるように、夢を見る権利も誰にでもある。
全く同じ本を読んでみても、それぞれ想像するヴィジョンや景色は違うであろう。
ネットの普及でか、今更絵本なんてという時世だからこそ尚更
幼少時に子供が最初に手にする本の大切さを噛み締めます。
子供の頃のお遊びはできる限り健全であってほしい。
少なくとも自分の部屋にひきこもった挙句、
PCのゲームでばんば~んとモンスターを撃ち合うような世界ではあってほしくない。
アグレッシーブという言葉を連想させるような攻撃を伴う行為であってほしくない。
むしろクリエイティブな微笑ましい光景を想像させるような
明るい未来に繋がる愛と希望と優しさに満ちた世界であってほしい。
精神的苦痛を八つ当たりや攻撃で解決していくのではなく、
自ら生み出す多種多様なイマジネーションで
癒しや安楽の世界へ導いていけたらどんなに良いか・・・
私自身、ベビーシッターをしておりましたので、
外国の子供たちに外国語で絵本を読んであげる機会に恵まれました。
またボランティア活動の一環として地域の子供たちに
外国の童話を読んで聞かせたり、歌を一緒に歌ったりするチャンスもありました。
中々大人になれない大人は無理に大人にならなくてもよい。
子供心に帰って夢の世界にどっぷりと浸かってみるのもたまにはいいと思う。
できているようで意外とできていないのがいい意味での回避、
全ての痛みを忘れて白紙に戻ってみること、無限大の夢を好きなだけ描いてみること、
精神修養には非常に大切なことだとしみじみと感じている今日この頃です。
めでたし、めでたし!!!
裕美・ルミィヤンツェヴァ
ジョン・ハイオカ 2008年03月08日 23:41 やっぱり裕美さんは地球の未来のため子供たちの明日のため魂を呼び覚ます心の革命家だと感じます。
ragtimema 2008年03月09日 01:01 ジョン・ハイオカさま、
コメントおおきにぃ。世界一売れている機関銃、『カラシニコフ』を手にしている子供たちは『人殺しがものすごく楽しい!!!』としばしば語っている。『銃を持った瞬間に自分に途轍もないパワーが備わったかのように感じる。みんなが自分を恐れているのがたまらない快感である』と・・・
そういう子供たちの心理は果たしてどうなっているのか????銃を持つ子はきっと親に守ってもらっていない。人殺しを楽しむ子たちは夢見る世界を知らない。そこまで心が病む程の想いを周囲にさせられてきているのですよ。つまり、精神が貧弱なんです。この点においては本人も悪い。しかし、そういった環境に否応なしに追い込まれてしまった子供たちもいる。
子供ながらも徴兵制で銃を持たねばならない男の子もいる。治安の悪いスラム街で売春を余儀なくさせられている女の子もいる。世界中の殆どの子供たちはディズニーランドを知らない。無邪気に戯れることを知らないで育つ子供はこの世に沢山存在しています。
そういう子供たちに『お菓子の家』を想像する力を養ってもらいたい。きっとお菓子自体が何なのか知らないのだろうけど、何らかの形で愛と夢と希望を届けてあげたい。
裕美・ルミィヤンツェヴァ
ハヤト 2008年03月09日 07:20 >『銃を持った瞬間に自分に途轍もないパワーが備わったかのように感じ
>る。みんなが自分を恐れているのがたまらない快感である』
人はみな「自分はここに居ていいんだ」という実感を求めて生きているのだと思います。そしてそれを得られた人間は、それを与えてくれた「社会」に愛や恩を返したいと思うのだと思います。
親や周囲の人間に十分な愛情を注いでもらえなかった子供達の心は「自分はここに居ていいんだ」に飢えている。だから、人殺しでも売春でも、それをする事で「褒めてくれる」「社会」があることは、彼らを癒してくれる空間になりえるのだと思います。
そして世間一般には「悪い事」とされている事に対して愛や恩を感じて、それを「社会」に返そうとしてしまう。いわゆる「負の連鎖」といったものでしょう。虐待を受けた子供が親になったときに自分の子供に虐待をしてしまうのもこれに似ていると思います。
いいことも、わるいことも、それが喜びであるという点では非常に純粋な感情から生まれるものです。だからこそ、大人が、「良識」ある大人が、子供達を導かなければならない。そして、導く大人は、常に自分の「良識」が、本当に正しいのかを悩まなければいけないのだと思います。
ragtimema 2008年03月09日 16:09 ハヤトさま、
流石、素晴らしい解釈です。『負の連鎖』、悪の世界に癒しを求めるという心理は勿論ありますね。『非行に走る』というのが正にそうでしょう。麻薬の売人とて社会においては立派に役割を果たしているのだろうし、売春婦とて他者に肉体を求められている状態、全ては自分の存在価値を肯定したい想いに起因しているのだと感じます。自分という人間に宿る長所や美徳に早く気付き、ポジティブな生き方に変換できればよいのですが、それが中々難しいところ、色々と思いを巡らせてしまいますね。
裕美・ルミィヤンツェヴァ
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